昭和41年10月24日 朝の御理解
これは人情として、誰しも同じようなものを持っておると思いますけれども。一時でも早う、楽になりたいという。けれども信心をさして頂いたら、いっときでも早う楽になりたいという、願いを捨てんでも良いけれども、楽になるなら楽になりたい為の、信心がしっかり出来てから、ですから人が十年かかるところは、五年ででも三年ででも、おかげ頂く。いや人が一年かかるところは、半年ででも一ヵ月でもと思うなら、それだけのやっぱ信心が出来なきゃいけません。
それにはね、先ず第一に一番必要なのは、もうこの方一心と定めること。人に頼らず物に頼らず。何年信心しよっても、ここんところがひとつも分からん人があるのです。すぐ物に頼る人に頼る、これでは二股を掛ける様な事ですから、本当のおかげになりません。一心の信心を打ち出していかなければいけません。信心は楽な信心ばっかりを求めて、おかげだけは、本当のおかげを頂きたい。どのような修業でも致しますからどのような信心でも致しますからと云うなら、まだ話が分かるけれども。
信心は出来るだけ楽な、そしておかげだけは一人前のおかげを頂きたいと云うのであっては、これは矢張り本当のことじゃない。昨日ある方がお願いをされるのですね。云うならまぁ、虫の良いお願いなんです。自分の分というものもわきまえずに、いうなら自分の身の程も知らぬといえば、身の程も知らぬ程の願いなんだ。信心も出来んのに願いだけを、そのおかげ頂きたい。そりゃ誰でもそれが人情ですから誰でもそうです。
自分な十の信心しかでけとらんけれども、二十のおかげを頂きたいとこう。だから二十のおかげを頂きたいと思わんでも、本当に十の信心が出来ればです、神様は二十のおかげを下さる。氏子が打ち向かう倍力の徳を授けると仰る。だかその打ち向かうことに一生懸命にならなきゃいけません。果たして自分の信心が一心かどうか。あれに頼りこれに頼りしておるようなことはないだろうか。それではおかげは受けられません。
例えば、現在冬の真最中というような、冷たい寒い思いをしておる人がです。一日も早う、春の暖かいおかげを頂きたいと願うのは、こりゃ無理からぬことなんです。寒いそこで信心はそのすぐ春のおかげを下さるのではなくてです。その冬なら冬に処していく道を教えて下さるのだ。一生懸命働きなさい身体が温もる。一枚だん着物を脱いだっちゃよか位に、一生懸命働きなさい。冬も又楽しいもんじゃ。一生懸命に働くと冬でも汗が出るごとある。一番上の着物でも脱ごうごとなってくる。
それにああ寒い、ああ寒いと云うて、こごえておる様なことで、そしてそういう信心でどうぞ早う、暖かい春が来ますようにと言う様な願いをしたんじゃだめだ。私は思う。私はそう言う様なそのお願いでした。まぁこれは一体にですよ、いうなら大体そんな願いをしとるですよ。そしたら神様から私あの波多野さんからあの、天馬というこの俳句の働いておるのそ、これ私ちょいちょい開けてみよるんです。
そすと神ながらなその句があるんですね。川野星雲という人の句集なんですよ。ちょっと聞かせて頂きましたところに、書いてあるのがですね。「冬暖や火葬場までの浜づたい」という句を頂いた。冬暖というのは、冬の暖かいと書いてある。冬でも小春日和のように暖かい日に、それはひとつのそういう情景を、句にされたんでしょうけれども。これは私御理解として頂かなければならんと思いますが、冬暖ということはですね。いうならその冬の日に、春のような暖かさばっかりを願っておる。そういう事をしよるとね、火葬場までも続いてしまうぞ、とこういう事なんです。
非常にこれは、厳しい御教えであったとこう思うんです。それこそ、私その方にそれを申しましたら、いやあもう本当に恐れ入りました。もういうなら、先程のようなお願いは、取り消さして頂きますと言う様な、意味の事を云われて。そうですなと、それよりも結局、冬に寒いなら、その寒い事は間違いないのだから。また冬は寒いのが当たり前なんだから。現在のあなたは寒いならば、その寒い冬にしょして行く道を、体得していかにゃいけませんよと云うて、まお話したことでした。皆さんこの句を、一つ覚えといて下さらなきゃいけません。
昨夜の月次祭から、こう、私、申しておりますことも、大体、そういうことでございましたですね。今の椛目の者が、焦点にしなければならない事は。お願いをする、思い通りになる、いや、思い以上のおかげを頂くことも有難いなら、それとは、反対のような場合でも、そこに御神意の、いよいよ、深さを悟らしてもろうて、おかげを頂いていかなければならんというような御理解でしたが。
今朝私が皆さんに申しております、いわゆる「冬暖や火葬場までの浜づたい」それはもういよいよそういう願いというのは、もう死に直結しておる事。一番お互いがいやだと思っている、その苦しいことやら、悲しいことに直結すること、楽な事ばかり思うておることは。そしていつぺんでもすぐ楽になりたい。そりゃ楽になりたいと云うのは人情だけれども。信心を頂いていよいよ分からして頂くということはです。そういう寒いなら寒い、苦しいなら苦しい中にも、道があるということ。
しかもなら寒い冬の中にもです、一枚ぐらい着物を減らしても良い位な、いわば道があるということ。ですからそういう私はお道の信心さしてもらうなら、根本的にそういうような心の状態にならして頂くことを、先ず願わなきゃいけん。どうぞ一日も早く楽になりますようにというような信心から、もし神様がさして下さる修業ならば、一つ本気でこっちの方から飛び込んででも行って、さして貰うぞという元気な心がいると言う事なんです。ああ何時になったなら、おかげ頂けるじゃろか。
早うおかげ頂きたいと言う様な、いわゆる心では、本当なおかげは受けられるもんじゃありません。その中に御神意を悟らしてもらい。その中に寒くても汗が出る位な、ひとつ道を覚えさしてもろうて。来る春を待たせて頂くおかげを頂かなければならん。頂き損なうじゃない。もう絶対のものこのおかげというのは。それは冬の次には春が来るように、春の次には夏が来るように、これはもう絶対のものなんだ。
そのおかげを待ちきらずに絶対に頂けれるおかげも、よう一生頂かんままに終えて行くという人が世の中には沢山ある。あんまりいわばあわてるもんだから、自分の身の程も知らんもんだからああがよかろうか、こうがよかろうかと。例えていうならば、商売替えする人なんかがそうなんです。いっとき商売しよるとああこりゃいかん、ああ人があれしよると、あれがよかろうごたるけんと思うてもうそれに乗り換える。
あれしこれし、して、本当のことが出来んなりに、一生しまえてしまわなければならん。ここにやはり、信心に、神信心には辛抱することが、一番大切で御座いますと、金光様が仰るように。一番大切な辛抱をです、信心辛抱を私はさして頂かにゃならん。現在苦しいなら苦しい中に、神様の御神意が必ずあるのであるから。御神意を悟らして頂く信心をさしてもらわなければならん。もういっぺん申します。「冬暖や火葬場までの浜伝い」と言う様な事になってはなりませんからね。
どうぞ。